宇治十帖を徒歩2時間で巡る(NHK大河ドラマ『光る君へ』の舞台へ)

2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』は脚本大石静、吉高由里子主演の大きなスケールのドラマです。平安時代を舞台に源氏物語の世界が表現されています。

宇治市と源氏物語はゆかりがあり、源氏物語五十四帖のなかで、第四十五帖「橋姫」から最終の「夢浮橋」までの十帖は宇治の地を舞台に物語が展開するため「宇治十帖」と呼ばれています。
光源氏の子・薫と孫・匂宮が主人公になっています。今回はその宇治十帖の古蹟と三室戸寺をセットにして2時間程度の散策コースを考えてみました。

実際に回ってみましたが、山あり、谷ありで結構いい運動ができました。さらに風光明媚な所ばかりなので、見どころを2時間でまるっと回れるような感じです。私も近くには住んでいますが、こうやって歩くのは初めての経験でしたが、歩くことで新しい発見がいくつもありました。是非ともお薦めしたいコースです。

まずは宇治の玄関口JR宇治駅から

JR宇治駅へは、京都駅からJR奈良線みやこ路快速奈良行きで15分ぐらいで着きます。
奈良駅からはみやこ路快速京都行きで20分ぐらいです。
みやこ路快速は1時間に2本程度運行されています。

JR宇治駅の改札を出て南出口の階段を降りてすぐのところに郵便ポスト!?があります。

なんとも不思議な郵便ポストですが、実はJR宇治駅から10分ほど歩いたところにある宇治茶の老舗「堀井七茗園」の店内にモデルとなった茶壷があり、代々伝わる高麗青磁らしいです。宇治市制50周年(2001年)を記念してお茶壺ポストを作ろうとなった際に、当時の市の担当者がこの渋い緑色に惚れ込み、モデルに決まったそうです。

駅前に観光案内所があるので寄っていきましょう!!

中に入るとたくさんのパンフレットがあります。

観光案内所を出て交差点を向かって左手に進んでいきます。

宇治橋を渡って京阪宇治駅の前を横切ります。

京阪宇治駅からすぐに東屋があります。

①東屋


”浮船の母は今は常陸介の後妻になっていた。浮舟には左近少将という求婚者がいたが、少将は、浮舟が介の実子でないと知ると、財力めあてで浮舟の義妹と結婚してしまう。この破談に浮舟を不憫に思った母は、縁を頼って二条院にいる中君に預けることにした。

ある夕暮、ふと匂宮は、西対にいる浮舟を見て、その美しさに早速言い寄った。驚いた母は、娘の行く末を案じ、三条あたりの小家に浮舟をかくした。

晩秋、宇治を訪れた薫君は、弁尼から浮舟の所在を聞き、ある時雨模様の夜に訪ねて行く
さしとむるむぐうやしげき東屋の
あまり程ふる雨そそぎかな
翌朝、薫君は浮舟を連れて宇治へと向かった。薫君にとって浮舟は、亡き大君の形見と思われた。”


石碑にはこう書かれています。
”東屋観音移転之記
東屋観音として親しまれるこの石仏は、鎌倉時代に造られた聖観音菩薩坐像で、宇治市指定有形文化財に指定されています。
石仏はもと現在地の南西二十メートルのところにありましたが、宇治橋が架け替わり、道路が拡幅されたことにともない、同所にあった江戸時代の灯籠や宝印塔などとともにこの場所に移し、整備復元しました。
平成八年八月五日 宇治市教育委員会”

現在の宇治橋は、平成8年3月28日に供用が開始されました。写真の右側は昔の橋だそうです。
私も昔の橋の面影はありますが、慢性的な渋滞があったことしか覚えていません。
宇治橋通り商店街と一直線だった覚えもあります。

②椎本
東屋からは徒歩1分程です。

”春、花の頃、匂宮は、初瀬詣の帰路、宇治の夕霧の山荘に中宿りし、お迎えの薫君やお供の貴族たちと音楽に興じた。楽の音は対岸の八宮の邸にもよく通い、八宮は都にいられた昔を偲ばせた。
薫君から二人の姫君のことを聞き、ゆかしく思っていた匂宮は、宇治に消息を送ったが、返事はいつも妹の中君がなさるのだった。
薫君は八宮を仏道の師と仰いで、宇治を訪れ、姉の大君に強く心をひかれていく。
八宮は死期の近いことを感じ、姫君たちに身の処し方について遺言し、信頼している薫君に姫君を頼み、秋も深い頃、阿闍梨の山寺で、さみしく静かに波乱の生涯を閉じられた。

たちよらむ蔭と頼みし椎が本
むなしき床になりにけるかな”

③手習
椎本からは徒歩5分程です。

”比叡山の横川に尊い僧都がいた。初瀬詣の帰りに急病で倒れた母尼を介護するために宇治へ来た。その夜、宇治院の裏手で気を失って倒れている女を見つけた。この女こそ失踪した浮舟であった。僧都の妹尼は、亡き娘の再来かと手厚く介抱し、洛北小野の草庵に連れて帰った。
意識を取り戻した浮舟は、素性を明かそうともせず、ただ死ぬことばかりを考え泣き暮らした。
やがて秋、浮舟はつれづれに手習をする。
身を投げし涙の川の早き瀬を
しがらみかけて誰かとどめし
浮舟は尼達が初瀬詣の留守中、立ち寄った僧都に懇願して出家してしまう。やがて京都に上った僧都の口から、浮舟のことは、明石中宮に、そして、それはおのずと薫君の耳にも届くのであった。”

④浮船(三室戸寺内)

手習からは徒歩10分ぐらいで三室戸寺の入り口に着きます。


分かれ道がありますが、左三室戸寺の石碑の方へ行きましょう!!

浮舟の古蹟は三室戸寺の中にあります。
三室戸寺の中に入るにはお金が必要です。

拝観料は
平常 大人500円 小人300円
2月~7月中及び11月中 大人1,000円 小人500円となっています。


少し宇治の中心地から離れているので参考までの駐車場の値段です。
夜間のライトアップの時期は大混雑します。

”謡曲「浮舟」と浮舟古跡碑

三室戸寺には期間限定で、切り絵 御朱印「光る君へ」
光源氏・薫大将・浮舟・紫式部の4種類があります。

謡曲「浮舟」は、夫薫中将と兵部卿宮(匂の宮)との恋の間に揺れ迷う女性浮舟を描いた源氏物(宇治十帖記)である。
旅僧が初瀬から上洛の途次、宇治で一人の里女に会い、浮舟の物語を聞く。里女は「自分は小野の里に住む者です。」と言い、旅僧の訪問を期待して消え失せる。
旅僧が比叡山の麓の小野で読経して弔っていると浮舟の霊が現れて、宇治川に身を投げようとしたが物の怪に捕らえら、苦しんで正気を失ったところを横川僧都に助けられた次第を物語る。旅僧の回向で心の動揺も消え、都卒天に生まれ得ると喜び、礼を述べて消えて行くという雅びた幽玄味を持つ曲である。
「浮舟と古跡碑」は浮舟の宿命を煩悩が伝わる供養塔として追慕の念が絶えない
謡曲史跡保存会”
”正月、中君のところに宇治から消息があった。浮舟のことを忘れられない匂宮は、家臣に尋ねさせたところ、まさしく浮舟は、薫君に匿われて宇治にいることがわかった。そして、ある夜、闇に乗じ、薫君の風を装って忍んで行く。浮舟が事に気づいた時はもう遅かった。
浮舟は、薫君の静かな愛情に引きかえ、情熱的な匂宮に次第にひかれて行く。薫君は物思いに沈む浮舟を見て、一層愛おしく思われた。
如月の十日頃、雪の中、宇治を訪れた匂宮は、かねて用意させていた小舟に浮舟を乗せ、橘の小島に遊び、対岸の小家に沿って一日を語り暮らした。
橘の小島は色もかはらじを
この浮舟ぞゆくへ知られぬ
浮舟は、二人の間でさまざまに思い悩んだ末、遂に死を決意する。”

⑤蜻蛉

来た道を戻りつつ、途中で左に曲がります。

三室戸寺からは徒歩10分くらいの下り道です。
蜻蛉の古蹟は翔英高校の裏手になります。

”宇治の山荘は、浮舟の失踪で大騒ぎとなった。事情をよく知る女房達は、入水を推察して、世間体を繕うため母を説得し、遺骸の無いまま泣く泣く葬儀を行った。薫君も匂宮も悲嘆の涙に暮れたが、思いはそれぞれ違っていた。
実情を知った薫君は、自らの志の不運を嘆きながらも、手厚く四十九日の法要を営んだ。
六条院では、明石中宮が光源氏や紫上のために法華八講を催された。都では、華やかな日々を送りながらも薫君は、大君や浮舟との「つらかりける契りども」を思い続けて愁いに沈んでいた。
ある秋の夕暮、薫君は、蜻蛉がはかなげに飛び交うのを見て、ひとり言を口ずさむのだった。
ありと見て手には取られず見れば又
ゆくへも知らず消えし蜻蛉

⑥総角

蜻蛉からは徒歩5分程です。
かげろうの道からさわらびの道に行きます。
途中でUターンみたいな所があります。

大吉山の登山道の入り口にあります。

ちなみに大吉山の展望台には15分程で上がれますがなかなかの絶景です。

”八宮の一周忌がめぐって来た。薫君は仏前の名香の飾りに託して、大君への想いを詠んだ。
総角に長き契りを結びこめ
おなじ所によりもあはなむ
大君は父宮の教えに従い、自らは宇治の山住みで果てる意思が堅く、妹の中君をこそ薫君に委ねたいと望まれた。
薫君は中君と匂宮と結ばれることによって、大君の心を得ようとされたが、意外な結果に事が運ばれてしまう。
匂宮は中君と結ばれたが、気儘に行動され得ない御身分故、心ならずも宇治への訪れが遠のく。大君は「亡き人の御諌めはかかる事にこそ」と故宮をしのばれ、悲しみのあまり、病の床につき、薫君の手あつい看護のもとに、冬、十一月に、薫君の胸に永遠の面影を残して、帰らぬ人となった。”

⑦早蕨
総角からはさわらびの道を歩いて2分ぐらいの所にあります。

宇治上神社の鳥居を横目で見つつ

宇治神社に着く前にありました。

年改まり、宇治の山荘にも春が来た。今年も山の阿闍梨から蕨や土筆などが贈られてきた。
中君は亡き父君や姉君を偲びつつ
この春は たれにか見せむ 亡き人の
かたみにつめる 峰の早蕨
と返歌なさった。
二月の上旬、中君は匂宮の二条院へ迎えられ、行先の不安を感じつつも、幸福な日々が続く。
夕霧左大臣は、娘の六君を匂宮にと思っていたので、失望し、薫君にと、内意を伝えたが、大君の面影を追う薫君は、おだやかに辞退した。
花の頃、宇治を思いやる薫君は、二条院に、中君を訪ねては懇ろに語るが、匂宮は二人の仲を、疑い始める。

⑧宿木

亡き大君を忘れかねる薫君は、いつしか現し身の中君におもいをよせるようになった。中君はその真情に絆されはするが「うとましく」も思われる。
二条院に中君を訪れた薫君は、宇治に大君の人形を造り勤行したいと語る。中君は異母妹の浮舟が大君によく似通っていることを告げる。
秋、薫君は宇治の山荘を御堂に改造することとし、舟尼を訪れる。そして共に大君の思い出に浸り、
宿りきと思い出でずば木のもとの
旅寝もいかに寂しからまし
と口ずさみ、紅葉を中君への土産にお持たせになり、匂宮に恨まれる。
中君は男子御出産、薫君も心すすまぬまま、女二宮と結婚された。其の後、宇治を訪れた薫君は、偶然、浮舟を覗き見て、大君と全く瓜二つなのに驚き、強く心をひかれてゆく。

⑨椿姫
「その頃、世に数まへられ給はぬふる宮おはしけり。」と「宇治十帖」は書き始められる。
光源氏の異母弟の八宮は、北方亡き後、宇治の地で、失意と不遇の中に、二人の姫君をたいせつに育てながら、俗聖として過ごしておられた。世の無情を感じていた薫君は、宮を慕って、仏道修行に通い、三年の月日がながれた。
晩秋の月の夜、薫君は琵琶と琴を弾かれる姫君たちの美しい姿を垣間見て、
「あはれになつかしう」思い、
橋姫の心をくみて高瀬さす
棹のしずくに袖ぞぬれぬる
と詠んで大君に贈った。
出家を望まれる八宮は、薫君を信じ、姫君たちの将来をたのまれる。その後、薫君は、自分が源氏の実子ではないという出生の秘密を知ることになる。
⑩夢浮橋

薫君は、小野の里にいるのが、浮舟であることを聞き、涙にくれる。そして僧都にそこへの案内を頼んだ。僧都は、今は出家の身である浮舟の立場を思い、仏罰を恐れて受け入れなかったが、薫君が道心厚い人柄であることを思い、浮舟に消息を書いた。
薫君は浮舟の弟の小君に、自分の文も添えて持って行かせた。
浮舟は、なつかしい弟の姿を覗き見て、肉親の情をかきたてられ母を思うが、心強く、会おうともせず、薫君の文も受け取らなかった。
小君は姉の非情を恨みながら、仕方なく京に帰って行った。薫君はかっての自分と同じように、誰かが浮舟をあそこへ匿っているのではないかとも、疑うのだったとか。
法の師とたづぬる道をしるべにして
思はぬ山に踏み惑うかな

これで宇治十帖全部を周りました。
今回は冬場に行きましたが、季節ごとに違う表情が見れるのではないかと思います。また行ってみたいです。11月に一度行った時はスタンプラリーもありました。イベントもあるようなので、しっかりチェックしてから行ってみて下さい。

同じようなコースと時間で、響け!ユーフォニアの聖地巡礼もできます。
良かったらどうぞ!!

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