昔の開橋は流れ橋だった。水位が下がるとある物が見えてきます…

Photo by Aleksandr Barsukov on Unsplash

 

京都府八幡市にある現在の木津川の流れ橋は、最近では実写版「るろうに剣心』の撮影に使われたりしている有名な橋です。八幡の流れ橋とは今は昔。現在の橋はかなり頑丈に補強されており、なかなか流れない構造になっているみたいです。

 

今回は木津川のもっと上流にある、昔の開橋の事です。

場所は京都府木津川市にある開橋のすぐ川上

 

木津川の水位が下がっている時期に、開橋の南側に木造の橋桁の面影が見れます。

開橋の歩道からも見えます。

今の開橋より高さも低く木造で、大雨で流されたこともあるようです。木津川は砂の川なので橋を作るのも当時は大変だったのではないでしょうか。

橋がかかっていなかった時代は、対岸へ渡るための「渡し舟」が今の精華町の範囲では3カ所あったそうです。ここ開橋のあたりにも『開の渡し』というのがあったとの事。(精華町のHPより)

わたし船が廃止された後昭和26年3月に架設されました。現在の八幡の流れ橋と同様、戦後の経済状況のせいで、安上がりですむ木造橋になったのでしょう。上の写真は昔の開橋です。下の写真は現在の八幡の流れ橋です。構造もよく似ていますね。

昔の開橋でも時代劇の撮影などが行われていたみたいです。当時の生活の様子が分かる手記があります。

昔は菅井の浜、滝ノ鼻の浜があったようで、また、祝園の浜には開きの渡し
があり、古く人々の往来が盛んであったことと推察する。

私(大正十一年生)の子供の頃(昭和初期)には、帆かけ船、筏の往 来が盛んであり、木津川の堤防も低く、帆かけ船が通ると帆の上部が堤 防の上に見え子供等はその帆かけ船や筏とかけっこをして遊んだもので ある。

昭和二十二年頃までは渡しがあったが、その後、流れ橋(雨が降り川の水嵩

が増加すると自然に橋は流れる)へと変わって行った。しかし、この橋 は夏より秋の増水期には流れ、早くても冬にならないと復旧出来ず、春 まで待つこともあった。ときには渡し舟が復活されたこともあり、大変 に不便であった。余談ではあるが、この橋を時代劇映画のロケーション でよく利用されていたのを覚えている。          子供の頃の思い出  西野勇

 

当時の事が非常によく分かりますね。他にも魚をとったり、水泳をしたりと、現在からでは想像もつかない遊びなどをされていたようです。

 

現在の開橋になったのは昭和47年です。

 

開橋の近くの河原には、更に昔の江戸時代の歴史を感じさせるものがあります。

開橋の付近を散策すると、自然の石ではない大きく加工されたあとのある石がごろごろしています。

開橋付近の河原には、江戸幕府2代将軍徳川秀忠の命令で、大阪城築城の石垣のため切り出され、輸送途中で放棄された「残念石というものもあります。」昔はこんな大きな石を川を使って舟で輸送していたのですね。

こんなに大きな石が放置されているとは何とももったいないですが、石が足りなかったらいけないので、予備に置いてあったとの事。

また運ぶ途中で落としてしまったことで、落城をイメージさせるため、石垣に使って貰えなかったなどの説があります。

 

他にも加茂町や、大山崎にもあるみたいですね。木津川市の道路工事に伴って移設される残念石もあるみたいです。

 

 

今回はイベントで河原まで行けましたが、普段は雑草等がすごくて、周辺の河原まで行くのは大変だと思います。

遊びに行ける所ではないので身近な歴史と言う事で紹介しました。

知らなかった歴史の遺構が、意外と身近に眠っているかもしれません。

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